ギャラリー山陽堂
21年10月(4)
21年08月(1)
21年07月(1)
21年06月(2)
21年05月(2)
21年04月(1)
21年02月(4)
21年01月(1)
20年11月(1)
20年10月(1)
20年09月(2)
20年08月(1)
20年06月(1)
20年04月(1)
20年02月(2)
19年12月(1)
19年11月(2)
19年10月(6)
19年09月(2)
19年08月(2)
19年07月(3)
19年06月(3)
19年05月(3)
19年04月(2)
19年03月(3)
19年02月(3)
19年01月(2)
18年12月(5)
18年11月(3)
18年10月(3)
18年09月(1)
18年08月(6)
18年07月(3)
18年06月(1)
18年05月(4)
18年04月(3)
18年03月(2)
18年02月(3)
17年11月(4)
17年09月(1)
17年08月(1)
17年06月(1)
17年05月(2)
17年04月(2)
17年03月(1)
17年02月(2)
17年01月(2)
16年08月(7)
16年07月(4)
16年06月(1)
16年05月(2)
16年04月(1)
16年03月(2)
16年02月(2)
15年11月(2)
15年06月(11)
15年05月(4)
15年04月(1)
15年03月(3)
15年02月(3)
14年12月(2)
14年11月(3)
14年10月(1)
14年09月(2)
14年08月(2)
14年07月(3)
14年05月(3)
14年04月(4)
14年03月(3)
14年02月(1)
14年01月(1)
13年12月(2)
13年11月(2)
13年10月(1)
13年09月(1)
13年08月(1)
13年07月(2)
13年06月(2)
13年05月(2)
13年04月(1)
13年03月(2)
13年02月(2)
13年01月(1)
12年12月(1)
12年11月(2)
12年10月(3)
12年09月(1)
12年08月(2)
12年06月(1)
12年05月(1)
12年04月(2)
12年03月(2)
11年11月(1)
11年10月(1)
11年09月(1)
11年07月(2)
11年06月(1)
富嶽三十六コピー展
富嶽三十六コピー展
期 間: 2017年2月14日(火)~2月25日(土) 月-土11時~19時(土・イベント開催日 17時まで)日・祝休み

日本一の山といわれる、富士山。

高さなんかだけじゃなく、

「人を幸せにする」

という意味でも日本一なのかもしれません。


かつて葛飾北斎が三十六の角度で描いたその山を、

いまコピーライターたちが三十六の視点で表現し、

富嶽三十六コピーをしたためました。

そこには、富士山を想い、守り、前を向く、日本の心が生きています。

そんな言葉たちを、かわいいイラストと共に、

是非お楽しみください。

 



~富士山ってこんななんだ。

知って、書いて、伝えちゃおう!ワークショップ~

 

日時:2017217日(金)19:00

場所:青山・ギャラリー山陽堂

出演:富士山世界遺産国民会議 武田一雄

    コピーライター 高阪まどか

 

世界文化遺産となった富士山。

そんな富士山を様々な分野から楽しみ、守っていこうとはじまった富嶽三十六プロジェクト。

NPOの設立から、活動、富士山の以外な事実までご紹介。

その後はコピーのミニワークワークショップも。

富士山を知って、書いて、伝えちゃおう!

どうぞお気軽にご参加ください!

 

参加費:1500円(税込)

※参加していただいた方には絵葉書プレゼント!

お申し込み方法:氏名・電話番号・メールアドレス等ご連絡先を明記の上店頭・下記問い合わせメール・電話・ファックスにてお申込みください。

mail:info@sanyodo-shoten.co.jp 

tel:03-3401-1309 

fax:03-3401-1358





プロフィール

■武田一雄  

 

長野県大町市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒

2013年~ 富士山を世界遺産にする国民会議 事務局長

2014年~名称を富士山世界遺産国民会議 事務局長

 

■高阪まどか

 

名古屋市生まれ。

2012年~コピーライター

CMなどの広告や、商品企画、ブランディングまで言葉をつかって様々な企画にとりくんでいる。

昭和初期の山陽堂にまつわる物の展示
昭和初期の山陽堂にまつわる物の展示
期 間: 1/27(金)~2/10(金) 平日11時-19時  土11時-17時  日祝お休み   
山陽堂が現在の場所に移ったのは、昭和6年(1931)のことでした。

それまで、表参道を正面にみた明治神宮の突き当りに位置していました。

現在の場所に移転した頃のことを、

伯父(大正6年・1917生)が書き残しています。



昭和6年に山陽堂が今迄の表参道の正面の店舗から移転するようになったのは、

代々木の練兵場や原宿の皇族駅においでの天皇の行幸路として参道から乃木坂を通り

溜池に至る御幸通りの造成が決定した為でした。

丁度参道角の豆腐屋が廃業するので土地を売りたいとの話が有り、交渉の結果購入できました。

青山は高台なのに水脈が良く、豆腐屋では井戸から直接柄杓でくんでいたそうです。

勿論井戸を残す為工事は大変でしたが、地下室に設けました。

(中略)

昭和6年の春から親戚である深川の清水屋が施工して始まった建築も12月初めに完成し、

店と住居の引越しが始まりました。

家の造りは三面焦茶のタイル貼り、一階の戸は一種防火戸(鉄製で重い難が有りました)

ガラスは全て焼き鈍し済みの透明度の良い自慢の物で

戦災の時物凄い火の熱にも三階の一部にひびが出来ただけでしたし、

屋上の庇の瓦が一枚コンクリートに落ちたのに割れず別の建築屋が見に来ました。

一階は全部店、二三階は住居、屋上は三層防水構造で塔屋と高架水槽が有り、

地下室には倉庫、洋間、事務室、浄化槽が有りました。

新築開店にはお客様が沢山見えて店の人の居場所に困る程でした。

超満員になるのは神宮の祭り、大晦日と毎月何回かの善光寺の縁日でした。

青山通りは震災にも遭わず、古い家並みに青桐の並木が続き、

割合狭い道路に路面電車の走る落ち着いた街でした。


ただいま、2階のギャラリーでは、昭和6年の山陽堂設計図、書皮(しょひ・ブックカバー)、

建物屋上にはためいていた旗、山陽堂で働いていた人たちの印半纏(しるしばんてん)、

また、青山の資料などを展示しています。

80数年前の山陽堂にふれていただけたらうれしいです。

みなさまのお越しをお待ちしております。


*旗と書皮(しょひ・ブックカバー)に関するブログ
2011.2.20『大売出しの旗かと思った』http://yytop.ciao.jp/sanyodo2/blog/2011/02/post-5.html
2011.2.21『最後のいちまい』http://yytop.ciao.jp/sanyodo2/blog/2011/02/post-6.html

00080.jpg